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こんにちは、小林です。

1週間ほど前に、こんなニュースが流れてきました。皆さんご存知でしょうか?

 

近畿最大?淡路に鉄器工房跡 弥生時代の舟木遺跡

 兵庫県淡路市舟木にある弥生時代の山間地集落遺跡「舟木遺跡」の発掘調査で、新たに鉄器生産工房跡と、手工業品を生産した可能性のある工房跡、鉄器57点などが見つかった。兵庫県と同市の両教育委員会が25日発表した。
 同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半とみられる。見つかったのは4棟の大型の竪穴建物跡。うち3棟は敷地が円形で直径が10メートルを超える大型で、うち1棟から4基の炉の跡が確認された。
 また4棟全てから鉄器製作に使ったとみられる石器を多数発見。鉄器は計57点あり、鍛冶関連のほかに針状鉄器など小型工具が出土した。
(引用元:神戸新聞NEXT「近畿最大?淡路に鉄器工房跡 弥生時代の舟木遺跡」

 

IMG_3962赤い点が今回発見された舟木遺跡、青い点が16年前に発見されていた五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡。

淡路島というと、やはり真っ先に思い付くのは1995年に西日本を襲った阪神淡路大震災。では、それ以前の淡路島は? 淡路島にはどんな歴史があるの? と聞かれたら、意外と答えられないのではないでしょうか。

今回は先ほどのニュースに関連して、古代の淡路島について探りたいと思います。ですがその前に、記事の内容に関連する予習クイズ! 冒頭のニュースのどこに注目すればいいのかを、始めにチェックしておきましょう。


準備はよろしいでしょうか? それでは、ミステリアスな古代史を一緒にひもときましょう!

 

目次

 

1. 日本神話では超がつくほど重要な島

IMG_3962いかにも日本神話といった感じのイラスト。

淡路島の名前が歴史上の文献に登場するのは、8世紀前半に編纂された、ともに日本最古級の歴史書である『古事記』『日本書紀』。それによると、このような神話が伝えられています。

イザナギノミコトとイザナミノミコトの2柱の神は、天の上から「天の沼矛(ぬぼこ)」を使って海をかきまぜ、その矛を引き上げたところ、滴り落ちるしずくがオノゴロ島と呼ばれる一つの島になった。神々はその島に降り立ち、夫婦の契りを結んで国生みをされた。このとき最初に作られたのが淡路島で、その後次々に島が生まれ、日本列島を作り上げた。

このように、淡路島は日本神話の中で最初に登場する実在の地名なのです。

ちなみにオノゴロ島という島は実在・非実在を含めて諸説ありますが、一説には淡路島の5km南に浮かぶ沼島(ぬしま)という小島が由来になっているといわれています。

淡路島の各所には、このエピソードにまつわる旧跡が存在します。たとえば日本最古の神社といわれる伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、日本をすべて作り終えたイザナギノミコトが、息子であるアマテラスオオミカミに天下統一の願いを授け、その余生を送った場所という伝説が残っています。

 

2. 天皇が口にする魚を献上していた?

IMG_3962純朴そうな見た目とは裏腹に、彼は天皇に食べ物を献上するスペシャリストである。

神話の世界を抜け出して、今度は確かな記録が残る現実の歴史を見ていきましょう。

淡路島は京のみやこに程近く、なおかつ四方を海に囲まれた島。かつては魚介類が主要な特産物でした。

平安時代中期(10世紀前半)に編纂された、当時の法律を集大成した『延喜式』(えんぎしき)という書物には、日本全国から天皇のもとに献上される品物についての記述が含まれています。その中に、淡路島は天皇が口にする魚の主要な産地だったことが記されています(このように、皇室の食べ物を献上する国を御食国(みけつくに)といいました)。

時代は少し遡りますが、奈良時代の歌人・山部赤人(やまべ の あかひと)も、「朝凪に 楫の音聞こゆ 御食国 野島の海人の 船にしあるらし」(意訳:朝凪の中で船を漕ぐかじの音が聞こえる、天皇に食べ物を献上している淡路の国。どうやら野島という所に暮らしている海人たちの船から聞こえてくるようだ)という和歌を詠んでいます。淡路国が長い間重要な存在であったことが分かりますね。

 

3. 今回の遺跡発見、結局何がスゴいの?

それでは本題。

ここまでの話、つまり伝説にすぎない神話の世界と、奈良・平安時代のエピソードはよく知られ、淡路島について調べると簡単にヒットします。

ですが、今回冒頭で触れたニュース、その時代は弥生時代後期(1世紀後半~3世紀はじめ)です。上の2つの話のちょうど中間に位置する時代ですが、なぜほとんど知られていないのでしょうか?

理由は単純に、この時代の日本全体のことがほとんど分かっていないからです。

今から先立つこと16年の2001年、同じく淡路島で五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡という遺跡が発掘されました。この遺跡も弥生時代後期に作られたものと見られ、このときは23棟の施設跡のほか、その中から矢の先端に取り付ける鏃(やじり)などの武器が発見されました。

そして今回発見された舟木遺跡はこれとほぼ同じ時代で、まだ4棟のみと部分的な発掘しか行われていませんが、その中に五斗長垣内遺跡を上回る大きさの鉄器工房跡が発見されたのです。2つの遺跡は6kmほど離れた位置にあります。

今回の発見で判明したことは、大きく分けて2点。「弥生時代の大規模な工房遺跡が2つも見つかったことで、淡路島が古代鉄生産の中心地だったこと」、「舟木遺跡からは武器が発掘されていない(=土の中で腐ってしまう木製品や革製品を作っていた?)ため、おそらく五斗長垣内遺跡と違う品物を作っていたこと」が分かったのです。

中国の歴史書『魏志倭人伝』によると、2つの遺跡が栄えていた時代は日本列島全体で争いが絶えなかったといいます。そしてその戦乱を収め、邪馬台国を中心とする国家を築き上げたのが女王・卑弥呼といわれています。しかし、卑弥呼が即位していたとされる3世紀前半になると、2つの遺跡とも廃れ、歴史の影に姿を潜めてしまいます。

 

今回の発見が現代の私たちに示してくれるのは、弥生時代の淡路島の姿。その後に続く古墳時代や飛鳥時代に、淡路島がどのようであったのかについては、まだ不明な点が多く残ります。今後の発見が待たれるところですね。

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この記事を書いた人

小林 逸人

東京大学文学部を卒業。現在は記事の執筆等は行っていません。

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