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河村です。どうも。

「河村が考えたことをドンドコドコドコと書く日記」こと「あしたはげつようび」のコーナーです。

近況:近くの寺にとある文化人の墓があるのですが、勝手に入っていいタイプの寺か分からず参れないでいます。


今日は「イチョウ」について考えていました。

停めていた自転車のカゴにイチョウの落ち葉が入っていて、秋の終わりを強く感じました。

s_s_5296945712124 イチョウの葉。見た目から、漢字では「鴨脚」と書くことも

僕の家の周りや東大の敷地内には、よくイチョウが植わっています。

そういうわけで、イチョウは僕に、最も自然な形で秋を知らせてくれるものになっています。

(人為的な秋だと「ボジョレー・ヌーボー」とかですね)

s_s_5296945786875 イチョウの木。英語ではginkgoなる意味不明スペリング

……さて、大抵の視覚情報が画像としてスマホで簡単に入手できる昨今、絶景はもはや消費財となり、そのありがたみは目減りしました。

これは特に、デジタルネイティブな若い世代に顕著な気がします(全くの主観ですが)。

僕もそういう「冷めたガキ」の1人。色づいたイチョウの木を見てキレイだなとは思いますが、そこから先には進みません。

そんな僕の心を動かすのは、例えば「自転車のカゴに黄色が落ちている」などのエモーショナルな体験。もしくは――

800px-ginkgo

Ginkgo / Via .wikipedia.org

におい。スマホでは再現できない情報。この質の情報は、イコール体験です。スマホ越しではお伝えできない。

smartphone


僕は子どもの頃、「ぎんなんはくさい」ということを認識していませんでした。

syokuji_baby_kirei 子どもの頃の僕(画像はイメージです)

家の近くにイチョウが生えていなかった僕にとって、イチョウとの接点は図鑑、もしくはたまの茶碗蒸し。

図鑑も茶碗蒸しも、くさくなかった。だから僕は、イチョウがくさいものだと知らなかったのです。

もちろん、茶碗蒸しの中に転がっているあの粒がぎんなんであることや、ぎんなんがイチョウの種であることは知っていました。

しかし、実際のぎんなんのにおいは知らなかった。実際に嗅ぐという体験を欠いていたのです。

800px-ginkgo_tree_08-11-04a

Ginkgo Tree / Via .wikipedia.org

嗅覚。体験。図鑑では再現できない情報。本物を嗅ぐという、自然の体験。

これを抜かしていた僕は、「ぎんなんはくさい」ということを知りませんでした。

僕が今子どもだったらどうかな、とはよく考えるのですが、きっと図鑑が、スマホで見るwikipediaになるだけでしょう。何も変わりません。

smartphone


さてぎんなん、イチョウの種子であるからには、その前段階で受粉など色々あるはずです。

イチョウについての生物学的な知識を全く持っていないな? と思ったので、少し調べました。

さすれば、イチョウにはオスの木とメスの木があることが分かりました。

オスの木が出した花粉をメスの木が受け取って受粉、ぎんなん=種子をならせます。

(ぎんなんのならない、くさくない街路樹はオスを選んで植えているのだそうな。)

800px-sendagayaginkgo 街路樹のイメージ

花粉はに乗って飛んでいきます。これがメスの木に届くかどうかは、運任せです。

運任せなので、受粉を成功させるそれなりの量の花粉をまく必要があります。

花粉症で有名なスギ。スギが花粉を撒き散らすのを見たことがあるでしょう。受粉を風に任せる「風媒花」は、あのように花粉を風に散らします。

(イチョウの花粉症の方もいるそうです。花粉症としてのシーズンは4~5月だとか。)

cryptomeria_japonica-male_flower スギ。風媒花のイメージとして。

スギの雄花と花粉/ Via .wikipedia.org

花粉は数キロメートルの距離は平気で飛ぶそうです。


数キロメートルの距離を離れたコミュニケーションというのは、植物にとってかなりの「遠距離恋愛」ではないでしょうか。

植物の花粉、人間の出す手紙やメールに似ている気がします。両者が実際には会っていない点が。

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ちょっと脇道にそれて、人間の遠距離恋愛について考えてみましょうか。

まずは昔の話。かつての遠距離恋愛の特質は、「単純に接触の回数が少ない」ことに集約されます。

1930年代に提唱された「ボッサードの法則」がこれを物語っています。

ボッサードの法則――「物理的な距離が近いほど、心理的な距離も近くなる」

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これは単純に「会う回数が多いほどラブラブ」と言い換えられそうです(法則発表当時、インターネットなんてありませんでした)。

「単純接触効果(繰り返し接したものの好感度は上がる)」という別の効果にも一致しますね。

そういうわけで、昔の遠距離恋愛はボッサードの法則にサックリとまとめられたわけです。

さて、ここで現れたのがインターネットや、スマホ。

syokuji_computer_woman ラーメンは本筋に関係ない

現代社会全部に多大な影響を与えたこれらはやはり、遠距離恋愛にも影響しているはずです。

北海道-沖縄間程度の時差のない距離なら、スマホにより、近距離恋愛と変わらない頻度の連絡ができるわけですね。

それでも、遠距離恋愛がつらい(らしい……伝聞です)のはなぜか。

それは、スマホに乗せられない情報があるから。それはきっと、体験。スマホでは再現できない情報。

smartphone

僕は今回においの話がしたいのではありません。スマホでは伝えられないものが、確かにあるという話をしたいのです(そのたとえが「においに代表される体験」でした)。

スマホには載せられない体験(のような何か)が確かにあって、それは多分恋愛に必要だよね、という内容を書こうとしたのです。

しかし、書きながら僕は気づきました。……本当にそれ、要るの?

もしかして、スマホにより「体験を欠いた遠距離恋愛」が可能になったのでは?

……この恋愛の形態は、イチョウに似ています。

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花粉のように情報だけをやりとりして、当の両人は全く会わない。もしかしたら顔も知らない。体験はない。

そんな恋愛が今、理論上はですが、スマホの上で可能になってきている。

体験を欠いた、スマホで伝えられる情報だけからなる人間の恋愛が、もはや構築できるのです。

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僕はこの在り方を論理的に、あるいは倫理的に否定する術を持ちません。もしかしたら僕の価値観が、もはや古いだけなのかもしれません。

それでも……このやり場のない気持ちがあることは、確かなのです。


……僕はなんだか虚しくなって、イチョウの木に問いかけました。

「ねえイチョウ、君は恋人の顔を知らなくて、悲しくないのかい?」

イチョウは答えました。

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「恋人居ないヤツに聞かれたくないわ」

 

帰って酒飲んで寝た。

あしたはげつようび。あしたの僕はどんなコミュニケーションをとるんでしょうか。


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この記事を書いた人

河村・拓哉

河村です。どうも。日頃は主にYouTubeで活動していますが、同じく「楽しいから始まる学び」に寄り添って記事も書いていきます。東大クイズ研OB。

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