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解説

正解は「千利休」でした。

ヒント1:料理、箸、色に名前を残す

照り焼きにしてゴマをふった魚料理を「利休焼き」、両端を細く削った杉製の箸を「利休箸」、緑がかったねずみ色を「利休鼠(りきゅうねずみ/りきゅうねず)」といいます。どれも千利休にちなんだ言葉です。

利休は精進料理に胡麻豆腐や胡麻和えなど、ゴマを使った料理を多く取り入れました。そのため利休の死後、ゴマを使った料理を利休が好んだと考えた人々が、それらの料理名に「利休」と付けたようです。「利休焼き」のほかにも、「利休煮」や「利休揚げ」といった料理があり、いずれもゴマが使われています。

「利休箸」は千利休が好んで用いたことが由来です。両端を削っているのは杉の香りを楽しんでもらうためとされており、利休は客をもてなす際に自ら削って箸を作っていたといわれています。「利休鼠」は江戸時代に登場した色で、侘び茶のイメージ寂びた味わいが重ねられる色合いです。

これだけ幅広いものに「利休」の名前が付けられているのです。千利休がお茶の文化の象徴的な存在であったことを伺わせますね。

ヒント2:弟子の著書が「一期一会」の語源

一期一会」の語源は千利休の弟子・山上宗二(やまのうえ・そうじ)の著書『山上宗二記』に登場する「一期に一度の会」という言葉とされています。この時は、「一生に一度の会であるから心をこめてもてなせ」という意味で用いられていました。

さらに「一期一会」という言葉を広めたのが、江戸幕府の大老として知られる井伊直弼です。井伊直弼は著書『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』で「一期一会」の語を使って、その精神を強調しました。現在では「一期一会」という言葉は、「人との出会いを大切にする」という意味で広く用いられています。

ヒント3:信長や秀吉に仕え、侘び茶を大成

千利休の生涯は織田信長が勢力を伸ばし、豊臣秀吉がその後継者として天下統一を実現した時期と重なっています。千利休はこれらの天下人やその部下に茶の湯を教えることで、茶の湯の文化を広めていきました。さらには時の天皇にも茶を振る舞っています。

しかし1591年、利休は秀吉の命令で切腹させられてしまいました。原因については利休が大徳寺に自らの像を置いたためなど諸説ありますが、明らかになっていません。利休と秀吉に美的感覚の違いがあった可能性も指摘されています。

しかしその後も茶の文化は受け継がれ、弟子の古田織部(ふるた・おりべ)は江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠に茶の湯を教えました。また、利休や彼の子孫がそれぞれに独立して様々な流派を開き、現在では、表千家裏千家武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)の三流派が「三千家」として伝わっています。


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この記事を書いた人

藤島

東京大学理学部4年生で、生物学を専攻しています。好きなことは歴史、生き物。趣味は読書などです。新しい分野を知る第一歩になれるような記事を書けるように頑張ります。

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