足利尊氏を「あしかがのたかうじ」と読まないのはなぜ?

こんにちは、服部です。

日本史の古い時代の人の名前には、「藤原道長(ふじわら“の”みちなが)」「源頼朝(みなもと“の”よりとも)」など、苗字と名前の間に「の」が挟まるものが出てきます。鎌倉時代以前の人の名前に特に多いですね。

しかし、時代を追って室町以降になると、「足利尊氏(あしかがたかうじ)」「徳川家康(とくがわいえやす)」など、急に「の」を挟まなくなっていきます。

なぜ「源頼朝」には「の」がついて、「足利尊氏」には「の」がつかないのか。

それは、どちらもただの苗字のような「源」と「足利」が、実はまったく別の性質のものだからです。

そもそも足利尊氏の名前はもっと長い!

「源」「平」「藤原」などはもともと氏名(うじめい)というもので、「足利」や「徳川」は、もともと同じ氏名の人を呼び分けるための称号だった、という違いがあります。

ひとつひとつ紐解いていきましょう。

氏名(うじめい):源頼朝の「源」

時代をさかのぼって説明します。

日本史で「苗字+個人名」のように思われる形で最初に目につくのは、飛鳥時代の「蘇我馬子(そがのうまこ)」や「物部守屋(もののべのもりや)」でしょう。

この「蘇我」や「物部」は、祖先を同じくする人々の集まりである「氏集団(うじしゅうだん)」の名前で、「氏名(うじめい)」と呼ばれます。

ちなみに、蘇我は地名に、物部は朝廷で受け持っていた官職に由来する氏名です。筆者の苗字である「服部」も、「はたおりべ」という官職からこの時代に生まれたとされています。

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さて、奈良時代に入っていくと、蘇我や物部といった古くからの氏集団の多くが権威を失うとともに、これから説明する新たな氏名が誕生します。

669年、大化の改新などに功があった中臣鎌足(なかとみのかまたり)に対して、天智天皇は新たな氏名である「藤原」を授けました。これが「藤原氏」のはじまりです。以降も、手柄を立てた人物などに対して、天皇から氏名が授けられることがありました。

天皇が賜ったうちの源氏、平氏、藤原氏、橘氏の四氏は平安時代に特に繁栄し、よく「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」ともまとめられます。源頼朝などの「源」も氏名なのです。

こうした「源」や「藤原」といった氏名には、慣例的に格助詞の「の」をつけて読んでいます。

同じ氏名の人が多すぎる!:「苗字」の起こり

「源」や「藤原」が氏名(うじめい)であったところで、では「足利」や「徳川」は氏名ではないのでしょうか。

少し想像を巡らせてみてほしいのですが、日本史に出てくる「藤原」という氏名の人物はどのくらいいるでしょうか。辞書が手元にある方はそれを引いてみていただいてもよいでしょう。道長、頼道、鎌足、不比等、公任、純友、兼家、道綱……。

そう、「藤原氏」が多すぎるのです。当時の平安京で「藤原さん」と呼びかけてしまうと、とんでもない人数が該当したのでしょう。「藤原氏 家系図」などと検索すると、横にも縦にも広く連なったものがたくさん見られます。

そこで、京都に住む藤原氏たちは、住む場所によって個人を区別することを始めました。一条通りに住んでいるなら「一条殿」、堀川通りに住んでいるなら「堀川殿」といった具合です。

こうした称号が何世代にもわたって続いて一定の家系を指すようになったとき、それが「苗字」となりました。「五摂家」といわれる一条家、二条家、九条家、鷹司家、近衛家もこのパターンです。

武士の苗字

藤原氏は公家だったので邸宅で呼び合いましたが、同じように同族が増えていった他の氏名はどうでしょうか。

源氏や平氏は武家だったので、京にとどまらず各地に散って領主となっていきます。そこで、武士は各々が治めていた領地を称号にし、これが後に苗字となっていきました。

たとえば、足利尊氏を生んだ足利家は源氏の子孫ですが、祖先が足利荘(あしかがのしょう、現在の栃木県にある地域)の領主であったため「足利」という苗字を名乗るようになりました。足利尊氏の名前を略さず書くと「源」が登場します。

徳川家康もまた源氏の子孫であり、「徳川(得川)」や旧姓の「松平」は、祖先がそうした名前の地域の領主であったことに由来します。

その後は

治めていた地名が苗字になるということは、領主階級たる武家の象徴でした。こうした背景から、身分階層の分離が進んだ江戸時代には、武家以外が苗字を公の場で名乗れないよう制限されました。武家だけが刀を持ち歩けたことと合わせ、「苗字帯刀」と呼ばれます。

しかし、明治時代になると、新政府は古代からの氏名・中世以来の苗字・姓(カバネ、天皇が有力者に与えた称号)などをひっくるめて「名字」としました。わかりやすい戸籍の整備のために、すべての人は「名字+個人名」で構成される本名を一つだけ名乗ることと定め、現代に至っています。

この記事では大きな流れだけを説明していますが、日本人の名前の多くはルーツを非常に長く遡ることができ、複雑です。自分の苗字や歴史上の人物の名前がどう生まれ、どういう構成になっているか、ぜひ探ってみてください。

◇参考文献

  • 中村友一『日本古代の氏姓制』八木書店、2009
  • 奥富敬之『日本人の名前の歴史』吉川弘文館、2018
  • 大藤修『日本人の姓・苗字・名前 人名に刻まれた歴史』吉川弘文館、2012
東大経済学部4年・クイズ研究会所属の服部と申します。知識も経験もまだまだ浅い青二才ではありますが、学びと発見への新たな入口の1つとしてお手伝いできればと思います。よろしくお願いいたします。

 

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