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 皆様、佳くお過ごしでしょうか。柳野とうふです。

突然ですが、今回の記事で私は皆さまに「川をもっと”道”として活用すべきだ!」ということを主張したいと思います。

いきなりすぎて「はて、歩けないところを道にするたあどういうこっちゃ?」といぶかしんでいる方もおられるかもしれません。なぜ私がこんな、一見突飛な主張を考えつくに至ったのか、話は数日前に遡ります。

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 ある日、私はいつものように電車で橋を渡っていました。ガタンガタンと大きな音を立てながら、電車は川を横切っていきます。橋の斜め材が断続的に日差しを遮り、高速で点滅するライトのように照らすのが少し目に痛いです。そんなときにふと気づきました。「あれ、そういえばなんで私は川を横切る交通手段を使っているんだろう?」と。

 なぜならば、現在ならいざしらず、かつて「川を船で上り下りする」というのは日本の主要な交通手段であったからです。江戸時代、江戸の中心部へと荷物や人を運ぶために、江戸の街には多くの水路や川の整備が行われていました

また海外に目を移すと、ヨーロッパの大河・ライン川では現在でも、コンテナ輸送のために船が行き交っているといいます。

 こうして川を使った交通手段が実現されてきた実績がある以上、「川を道として使う」というのが突拍子もない発想ではないということはお分かりいただけるのではないかと思います。

現代の日本でも河川交通が実際にあれば、既存の道路や鉄道に加えた交通手段ができる、ということでより便利さが増すように感じられます。

しかし現実には、そういった交通手段を身近に見ることはありません。この状況を改めるべきだ、というのが冒頭の主張である訳です。

そういうわけで、今回は現代の日本ではあまり見られなくなってしまった「河川交通」について、少しの間目を向けてみたいと思います。

  1. かつての日本の河川交通
  2. 河川交通の衰退
  3. 現在の河川交通


かつての日本の河川交通

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 現在のように陸上の交通手段が発達する以前は、川は物を運ぶための主要な道でした

歴史的に早く河川交通が発達したのは、古くから都が置かれた関西の川たちです。例えば奈良時代・平安時代に造営された都には、天皇の御所を始めとした大きな建物が建てられていましたが、そうした建物の建設に使う木材の輸送には川が利用されました。

そうした関西の川の中で特に重要だったのは淀川(よどがわ)です。江戸時代には、淀川沿いの街であった大坂には多くの水路が巡らされ、そこに沿って大名の蔵屋敷が立ち並ぶようになったことからも、河川交通の賑わいが想像できるでしょう。

淀川はまた、日本の北と南の海をつなぐという意味でも重要な川でした。実際に川と川とで2つの海がつながることこそ無かったものの、淀川上流の琵琶湖と、日本海に面する敦賀の街はほど近く、物流ルートができあがっていたのです。

利根川

 一方で関東、江戸の周りで発展したのは利根川(とねがわ)でした。利根川が江戸川と分かれる地点には関宿(せきやど)という町があるのですが(千葉県。茨城・埼玉の両県と接する辺り。)、ここには江戸時代、重要な関所が置かれていました。つまり、陸路と同じように水路が重要な交通路であった訳です。

この利根川を中心とした水路では、もちろん年貢米をはじめとした物資の運搬が行われました。加えて、関宿の町からは「六斉船(ろくさいせん)」という安い乗合夜舟が出ており、人の往来にも一役買っていたようです。この六斉船は北の方から江戸に向かう旅人たちを、寝ている間に江戸へと送り届ける船ということで大いにウケたようです。

河川交通の衰退

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 見てきたように、かつて日本の河川交通は大いに賑わっていたのですが、現在ではそうした船はほとんど見られなくなってしまっています。その最たる理由はスピード化・マス化する現代社会の需要とそぐわなかった、というもののようです。

船による物資の輸送は確かに低コストで多くの物を運べるのですが、移動する速度は鉄道や自動車に比べるとどうしても遅いものだと言えます。現在のようにスピードを求めて道路や線路が整備されてくると、河川交通は目を向けられなくなっていった、というのが現状の理由でしょう。

乗合夜舟のような客船形態についても、より早く便利な陸路交通が現代では多くありますし、何より行き来する人が多くなった現在ではキャパシティを超えてしまい運行できない、という問題を抱えることになるでしょう。

 加えて、山がちな地形である日本を流れる川はいずれも、上流と下流に大きな高低差があり、また流れる距離も短いため、緩やかなヨーロッパの川のようには輸送利用しづらかった、という地形的な特徴も原因としてあるようです。

現在の都市部ではそれまであった川に蓋をし、道路にしてしまう工事も多くなされています。現代の生活では水路や船は見事に忘れられているのです。

現在の河川交通

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 一方で、現代日本でも川の船便がなくなってしまった訳ではありません。最近では陸上の交通量を減らしたり、災害時の交通手段として利用したりするなどの観点から、再注目されつつあるようです。
 特に目につきやすいのは、観光のための遊覧船がクルージングを行っている姿でしょうか。例えば東京では浅草~お台場の辺り、大阪では大阪城~中之島の辺りで水上バスが運行されています。大都市以外だと、新潟市内を運行する「信濃川ウォーターシャトル」なんてものもあるようですね。

信濃川

こうした遊覧船は流石に観光用という感じの値段設定で、単純に鉄道などと比較してしまうと割高になっています。また、運行エリアも鉄道に比べるとどうしてもこじんまりとしていて、主たる交通手段という意図で作られている訳ではない(=あくまで観光用である)ことを感じさせられます。現在の船は安価な交通・輸送手段ではなく、娯楽のための乗り物として生き残りの場所を見つけているのかもしれません。

 どうしても現在では、河川交通は交通量の面で陸路に勝てず、見られなくなってしまっています。しかし、陸路交通が過密を極める一方で水路をまったく放ったらかしにされている現状というのは、有効に利用できるはずの資源を無駄に捨てているようなものだと言わざるを得ません。

国土の決して広くない日本では、活用しないことこそ悪手だと考えたくもなります。もちろん課題は多いですが、上記のようにこれまで川を活用してきた文化的実績を持つ日本であれば、いずれ河川交通を復権させることもできるのではないでしょうか。実際に河川利用の見直しが行われつつある今こそ、活用の方法を考えるいい機会だと思います。

 この話をライターの豊岡さんとした時には、「料金は高めだけど座って帰れる小田急の特急のように、座って帰れる通勤客用の高級船にしたら採算が取れるんじゃないか」という話が出ました。

振り返ってみると、これは利根川の「乗合夜舟」に近いものであると言えるかもしれません。そうなると、実現可能性もそれなりにありそうに思えてきます。これから河川交通にどのような新星が現れるか、楽しみなところです。

 さて、お話はここまで。最後に今回の復習です。

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この記事を書いた人

柳野とうふ

東大で美術史学を専攻している東京大学OBです。マンガとか専門の本とかを読んでるときに「知らない単語」に出会った感動を共有したいがためにクイズを作ってるところが多分にあります。絵は見るのも描くのも好きです。

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