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女流棋士の香川愛生さんが、将棋の魅力などを自由に語る連載「香川愛生の研Q会」。

▲初回の記事はこちら!

これまでの2本は棋士・女流棋士との対談企画をお届けしましたが、今回は香川さん単独の記事。喧嘩ばかりしていたというゲーム好きの少女が、「将棋のプロ」になるまでの道のりを明かします。


みなさんお久しぶりです。女流棋士の香川愛生です。

改めて自己紹介のような内容にもなりますが、今回は私がどんなふうにプロになったかのお話をさせていただきます。

「将棋のプロになるには、どんな勉強をすればいいの?」「何歳で始めればいいの?」など疑問を持っている方も多いと思うので、ぜひ読んでいただけたら幸いです。

将棋のプロになるには? 勝負は「小学生」から

はじめに、私たち「将棋のプロ」とは何なのかについて話していこうと思います。

将棋のプロ棋士には、「棋士」と「女流棋士」の2つがあります。私・香川愛生は女流棋士、藤井聡太七冠や羽生善治会長は棋士。呼び方の違いだけでなく、実は制度も異なるのです。

女流棋士には、研修会で一定の成績を収めた女性がなれます。一方、棋士になるためには過酷な「奨励会」や「三段リーグ」を勝ち抜く必要があります。棋士への門戸は男女ともに開かれていますが、今まで棋士になった女性は誰ひとりとしていないのです。

▲「街で最強レベル」ですら6級。詳しくは中村太地八段とのコラボ動画で解説しています!

プロ棋士になるには年齢制限があることもあって、プロ入りの平均年齢は棋士・女流棋士ともに高校生〜20歳くらいです。逆算すると小学校、それもなるべく低学年くらいまでに将棋を覚えないと、プロになるのは厳しいと言えそうですね。

あの藤井聡太七冠は、なんと5歳で将棋を覚えたそう。でもこれもトップ棋士の先生では時折ある話で、「小学校に入る頃にはすでに有段者」というパターンも多いんです。まだ漢字もわからない年齢なのに、すごいですよね……!

近所の最強おじいちゃん・マツザワさん

私が将棋を覚えたのは小学3年生のときでした。ここまでのお話の通り、他の棋士や女流棋士と比べると遅いほうかなあと思います。子供のときからゲームが大好きで、周りの友達ともゲームで遊ぶことがほとんどでした。そんな中、雨の日の昼休みや学童クラブで将棋が流行ったときがあり、私もそのとき仲の良かった男の子にルールを教えてもらいました。

▲幼少期はゲームっ子。将棋のスタートは遅い方だった

当時の自分はボーイッシュで、負けず嫌いな性格でした(今でも?)。実はほとんど毎日、男子と喧嘩ばかりしていたんです(笑)。将棋を覚えたてのときは経験者の友達に歯が立たず、「最初の形が全く同じで公平そうなのに、なんで勝てないの!」といった具合に、腹を立てていましたね。

当時古いアパートの3階に住んでいた私は、1階に住んでいたおじいちゃん・マツザワさんの家によく遊びに行っていました。そんなマツザワさんに将棋を覚えた話をすると、自然と教えてくれるように。

実は後から知ったのですが、マツザワさんはアマチュアの六段! 若いときには道場100連勝とか、とんでもない記録も持っていたそう。後から聞いたウワサではあるんですが、なんと地元で最も将棋の強い人だったんです。

▲マツザワさんと。近所の「スゴいおじいちゃん」が師匠役に

将棋との出会いこそ比較的遅かった私ですが、このマツザワさんとの出会いが、私を将棋のプロへと導いてくれました。ルールを覚えるのは遅かったけど、少しずつ、そして確実に力をつけていくことができたのです。

マツザワさんは直接指導してくれただけでなく、将棋道場や大会、教室も紹介してくれました。少し先をゆくライバルにも恵まれて(一番仲良くしてくれていた渡辺和史さん、谷合廣紀さんはその後2人ともプロになられました)、更に棋力は伸びていきました。

▲谷合さん(左)、渡辺さんらと切磋琢磨した(写真は中学時代)

負けるのが悔しくて「暴れていた」

次第に他の習い事をやめて、放課後や土日は必ず将棋道場に通うように。道場では実力の近いお客さん同士をスタッフの人が手合いをつけてくれるシステム(いわゆるマッチング)で、まだ弱かった私は格上の人に駒落ち(ハンデ)をもらって戦うことも多かったです。

なんと負けると悔しくて暴れたりもしたらしい私ですが(当時の皆さんご迷惑をおかけしてごめんなさい)、それくらい夢中になってしまいました。喧嘩と違って、将棋は強くなれば上級生にだって勝てる可能性がありますからね。

▲負けの悔しさをバネに。将棋にのめり込んだ

4年生になる頃には最初勝てなかった友達をはじめ、学校で負けることは無くなって、特に男の先生を倒すと教室中が盛り上がったのが自慢でした(笑)。

囲碁ブームに「逆張り」して将棋の道に

ちなみに当時は、アニメ『ヒカルの碁』が大ブーム。実は私も流行りに乗って囲碁も習っていたのですが、あるとき

本当に強くなりたいなら、将棋か囲碁かどちらかにしなさい

と選択を迫られました。

当時の私はあまり悩まず、将棋を選びました。陣取りゲームの囲碁より、王将を取り合う将棋のほうがわかりやすくて性に合っていたし、みんながやっている囲碁よりも「勝ち目」があると子どもながらに思ったのです。

▲囲碁より将棋を選んだ理由は……

あとは将棋の話をしているのに(『ヒカルの碁』の影響で)囲碁の話を返されることが多かったので、ムキになって逆張りしたというところもありましたが(笑)。それにしても、マツザワさんはこういうところでも、将棋が強くなるための選択を促してくれていたのだなあと改めて気づかされます。

授業中にこっそり……「内職」で実力を磨いた

高学年で有段者になり、まだまだ実力は足りなかったなと今でも思うのですが、本番に強かったのか、女子の大会で少しずつ好成績を収めるようになっていきました。

我ながら順調なペースだったとも思うのですが、これには実は裏が……。のちに小学校時代の友人に聞くまですっかり忘れていたのですが、どうやら授業中、机の下でこっそり詰将棋の本を読んでいたらしいです。バレているのにこっそりも何もないのですが(笑)。友達が覚えているということは、さぞ長い時間読み耽っていたのではと思います。

▲四六時中、将棋のことばかり考えていた

あとは、きっとバレてるのに見逃してくれた当時の担任も、私が将棋をすることへの理解があったのだなあと思います。先生ありがとう。そして授業を聞いていなくてごめんなさい。

とにかく頭の中は毎日将棋でいっぱいで、将棋がなによりも大好きでした。

そして小学6年生のとき、将棋界で最も有名な女性アマ大会のひとつ「女流アマ名人戦」で優勝。女性のアマチュアの日本一となりました。決勝は社会人の方で、テレビの取材が入り緊張したのをよく覚えています。

▲大一番に勝利し、女性アマ日本一に

実はこのときの優勝は今でも最年少記録らしいんです。少し自慢ですみません(笑)。この優勝がきっかけでプロを目指し、やがて中学3年生でプロ入り、女流棋士となりました

学校のホームルームの時間に、担任の先生が

香川愛生さんがプロになりました

と発表してくれて、教室がざわざわしたのをよく覚えてます(笑)。将棋と出会って3年、いつの間にか自分の人生が大きく変わっていました

女流棋士の「わんぱく時代」

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